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発想力の研究

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筆者の発想力開発の記録です

最初のメモは小学生の頃。ある伝記で、偉人は寝床にメモ用紙を置いて、寝ると知った。ひらめきが来たときに、すぐに書き留めるためである。
それからは、枕元に折り込みチラシで作ったメモ帳とエンピツを置いている。
ある晩、ひらめきをメモろうとしたが、部屋の中は真っ暗で何も見えない。
メモ用紙も探せないのである。
次に試した方法は、真っ暗の中でメモを書く方法である。
暗闇の中で飲めも用紙とエンピツを探し、見えない中で文字を書く。
訓練すれば、書けるようになる。
このテクニックは現在も活用している。
方法は、頭の中に用紙をイメージし、文字を書いていく。
イメージ通りに、暗闇で手を動かし、現実のメモ用紙に書いていくのである。
この方法が後々も役に立っていく。
その後、手作りで電気スタンドを作った。
しかし、準備万端でひらめきを待っていると、ひらめきはやってこない。
アイデアとはそんなものである。
本格的にアイデア発想力を身に付けようと思ったのはテレビの番組が切っ掛けである。
テレビでは南米あたりの小さな村の様子が映し出されていた。
小さなお店の前にイスとテーブルがあり、男たちが食事をし、酒を飲んでいた。
ボロ着を着た子供たちが、こっそりテーブルから食べ物を盗み取る。
それを見つけた大人たちが子供に向けてライフルを撃つ。
子供たちが必死に逃げ惑う。
そんな光景が映し出されていた。
子供たちは、親のない孤児である。
親が亡くなったのには様々な事情があるのだろう。
夜になると子供たちは、物陰やイスやテーブルの下でうずくまって眠る。
危険でも人家の近くで眠るのは、野生の動物から身を守るためだった。
そして、最後にテレビがコメントを告げた。
「現代社会の中で、このような子供たちがいることは大人たちの怠慢である」
国連のメッセージだった。
見終えた私は泣いた。涙が止まらなかった。
この子供たちを救いたいと、泣いた。
どうしたら、この子たちを救えるだろう。
この子たちの悲劇は、親を亡くしたことから始まる。
絶対に親を死なせてはならない。
現在も、この考えに変わりなく、挑戦も終わっていない。
中学生の筆者が考えたことは、発明でお金を儲けて、みんなを救いたいと言うことだった。
義務教育が終わったら、直ぐに社会に出たいと考えていた。
純粋というか、何も考えていないというか、むちゃくちゃであった。
筆者が発明をお金儲けのための手段としたには理由がある。
体力があるわけでないし、社交性もなく、どちらかと言えば苦手である。
頭の回転も良い方ではない。
何も取り柄もないが、発明だけは好きである。
自分だけで考えるオタクタイプなのだ。
これが発明に興味を持った理由である。
どうやったら頭が良くなるのかを勉強した。
どうやったらアイデアが浮かぶのかを勉強した。
その努力もあって、方法だけは分かってきた。
と、言っても、自分の頭が良くなったわけではない。
発明の基本は「ひらめき」であることは、発明家の伝記を読んで知った。
この「ひらめき」を忘れないようにメモする方法を探し求めた。
「念ずれば花開く」である。
「ひらめき」の性格が分かってきた。
一般的には、様々な知識の上に、方法を考え出すのであろう。
しかし、中学生となれば、知識よりも思いが先行する。
いま考えるとそれが幸いしたと考えている。
意識でひらめきを探し始めた。
もし、本などで知識を深めていたら脳活用を考えるようになっていただろう。
おかげで、ひらめきに対する勘が良くなった。
意識でものごとを考える習慣がついた。
特に、勘性には助けられている。
意識と勘性を持っていると、異世界じみた発想方法を行うこともある。
親の説得もあって、中卒社会人はあきらめ、高校だけは行くことにした。
しかし、高校で勉強をしようとする気は全くなかった
とうとう、全日遅刻ということをやってしまった。
家から教室に入るまでは、3分もあれば充分だった。
そのため、計画的?な通学スタイルができてしまった
普通ならば、停学、退学になろうというものだろう
真面目な性格?と担任の先生によって何事もなく卒業できた。
担任の信頼を得たできごとがあった。
高校に入って、初日から無断で一週間休んだ。
当然、担任が家庭訪問に来た。
担任「なんで出てこないのだ!」
筆者「一週間後にアマチュア無線技士の試験があるんです。その勉強をやってました」
担任は化学の先生だったので、理解してくれた。
担任「頑張りなさい」
これで、素行は怪しいが、真面目だということを認められたのだろう
高校の入学式で、最初に行ったのは学校の放送局(部)の部室だった。
放送部は学校の重要な局のひとつだった。
本来は、各クラスの担任の推薦が必要なのだ
この異例な申し出に、局長がいろいろやってくれたようだ。
このようにして真面目な変人は放送局という目的の居場所を見つけた。
高校の放送局は設備が限られている。
放送設備は、先輩たちが手作りしたというもので、顧問の先生は電気器機マニアというから、設備は作るもので買うものではないと思っていた。
学校から活動予算が出ているなんて知らないから、筆者が局長の時は一切予算を使っていない。
後で、予算が合ったと聞いたときには、かなり落ち込んだ。
さて、話を少し戻そう。
こんな設備だから、毎日のように補修をする。
使用頻度の高いマイクコードの点検が重要だ。
1本20mのコードが数十本ある。
このコードを繋いで、遠くにマイクをセットする。
マイクも多いときには10本ほどセットする。
すると、コードは30本程度使用する。
現在のようなマルチケーブルなんてないから、網目のように絡み合う。
大抵は、本番になると1本くらい音が出なくなる。
部員は急いで、コードのコネクターをバラして、断線のチェックをする。
筆者が責任者だったときの大舞台で事故が発生した。
大至急、断線箇所を発見しなければならない。
その時、筆者に異変が起きた。
意識が身体を離れ、コードの中を走って行く。
コードの状態が見えるように分かる。
そして、ひとつのコネクターに行き着いた。
部員に指示し、コネクターをバラしたら、見事に断線していた。
そうして、コードを交換し、事なきを得た。
このような現象は当たり前だと思っていた。
誰でも、できるだろうと思っていた。
意識が身体をコントロールしていることは当たり前と思っていた。
筆者は天才ではないが、天才は自分の発想方法を当たり前と思っているのだと思う。
社会人になって、新聞社の広告部に勤務することとなった。
広告のことなんか何も知らずにである。
営業の会議室は決まって、街外れの喫茶店である。
そこで偶然に広告代理店の人たちの近くの席にいた。
なにやら仕事の話をしているのが、かっこよく思えた
世の中は好景気で、広告真っ盛りだったのである。
しかし、人間が苦手で、お世辞なんか言えない、真面目だけが取り柄?の男である。
ファッションなんて興味もないし、ファッション雑誌も見たことがない。
それでも、広告業界がまぶしく見えた。
人生は運命で動いていると思っている。
筆者は、ファッション総合ビルの広告営業として大手広告代理店と競争になった。
訳もわからないままに、やれそうな人材を集めて深夜会議を行った。
全員、セールスプロモーションなんて初めてである。
それでも挑戦しようと言うことになった。
毎日、打ち合わせと勉強が始まった。
社内で了解してくれたのは担当専務だけだった。
広告部社員は全員反対だった。
それで、作業は仕事後にすることとなった。
毎日、勤務時間が終わってから、資料を詰め込んだカバンを持って会議である。
こうして、なんとか大手広告代理店とのプレゼンで勝ち、ファッションビルの総合プランナーとして動くこととなった。
予算の豊富な時代だったので、毎週、広告とイベントを行う。
会議が月一回行われ、20名のテナントオーナーの広告戦略の承認を受けなければならない。
オーナーは決して好意的ではない。隙あらば、厳しく追求してくる。
結果は、毎日の売上データとして表われる。
毎日が勉強と作業である。
最初は書店で広告やイベントの書籍を買いまくった。
しかし、そんな本は役に立たないことは直ぐに判った。
広告やイベントはオリジナルでなければならない。
しかも、モノマネなんて役に立たない。
その頃の若い女性はファッションに敏感で、情報は雑誌やテレビで得ている。
我々の行う広告は、東京レベルの目に耐えなければならないのだ。
東京の優秀で専門的なブレーンがいるところと田舎集団の競争なのだ。
数多いファッション雑誌を残らず読んだ。
お陰で、ファッションのカタカナは使える様になった。
北海道の広告には大きなハンディがある。
それは、季節の違いなのだ。
正月のテーマ打ち出しは同時、秋のファッションテーマは北海道が先なのである。
テーマの内容で負けてたり、東京とイメージが違うと負けになる。
だから、1人で必死に探る。
普通のイベントの仕込みでも3ヶ月はかかる。大きなイベントなら1年位かかる。
その間に、小さなイベントが毎週行われる。
これを考えるのは筆者1人なのである。
イベントの数は年間50本以上。そして、毎年同じイベントは行えないので、10年間の間に700本位のイベントをオーナーの承認を受けながら行うのである。
頭の中には、今日のイベントから準備中のイベントまで数本が同時進行している。
思考力なんか働くゆとりはない。
この環境が筆者を追い詰め、異世界の思考力を身に付けさせた。
早いものだと、10分ほどでアイデアが浮かぶ。
それを意識の中でシミュレーションを行い、チェックと詳細を考える。
ある時、制作会社から今日指示書をもらわないと間に合わないと言われ、イベント会場で打ち合わせをすることになった。
「10分ほど時間をください」といって、会場の中で、会場と語り合う。「どんな風にして欲しい?」すうると、会場が語ってくれる。異世界の会話だから瞬間に会話が終わる。
それから、業者に指示をだす。それで、終了である。
業者もいつものことだと、待ってくれる。
いつも、こんな崖っぷちの仕事をしている。
だから、時々逃げ出したくなるが、イベントをやったときのお客さんの笑顔を見るとまたやりたくなる。
こんな方法で10年間700本の企画を考えてきた。
その後、独立するのだが、当社にくる仕事は、考えられないと内容のものが最後にまわってくる。
ほとんど不可能な仕事であるが、すべて熟した。
これも、意識によるアイデア開発法のお陰である。
依頼されて、できなかったアイデアはない。
どんなものでも発案してきた。
これらの経験をもとに独自のアイデア開発法を考案した。
それは、脳科学とは全く違ったものである。
ここまで、くるために様々な思考方法を考えた。
思考は積み重ねなければならない。
そのために、思考を記録する必要がある。
思考は積み重ね、広がっていく。
そのため、小さなノートではダメなのだ。
壁に模造紙を貼り、そこにドンドン書き込んでいく。
アイデアの数だけ、模造紙が貼られる。
当然、壁が足りなくなり、貼れないものはまとめて保存する。
不思議なもので、目の前から消えると、意識の中からも消える。
そのため、毎日、目を通す必要がある。

ここから、保存方法の格闘がはじまった。
最初は模造紙に書いたものをカメラで写真に撮ったが、再現性が悪く、印画紙に焼いた特に読めない。
模造紙原寸大で印画紙に焼いたら読めるかも知れないが、とても現実的ではない。
コピー機では入りきれない。
デジタルカメラが登場したが、解像度が悪い。
コピーカメラが出てきて、期待したが、やっぱり解像度が足りない。
電子ホワートボードが登場した。しかし、追記ができないのである。
追記のできる電子黒板が発売されたが、高価すぎて手が出ない。
そこに、Apple社からiPadが発売され、かなり期待したが、やはり解像度が足りない。
AppleからiPadProが発売された。
これは、見事に応えてくれた。見事な解像度で、小さな文字も読める。
この方法は現在も使っている。
しかし、これは記録にしか使えない。
欲しいのは、思考の積み重ねとひらめきへの対応である。
ひらめきというのは、記録を取るのが大変なのである。
このひらめきの研究が現在の「魔法の思考術」になっている。
ひらめきというのは、突然脳裏に現れる知的現象である。
意識に語りかけてくる。
異次元の世界なので時間感覚がなく、大量の情報が勘のようにして現れる
この異次元の情報は人間の脳で処理出来ない。
ひらめきの情報は意識の中にしかない。
意識の情報を自分が理解できるようにして、記憶させるには時系列にする必要がある
ところが、時系列にして最初の情報の処理にかかると、その他の情報は消えてしまうのである。
いったん消えた情報は記憶されていないから想い出すことができない。
ひらめきを記録するには意識の中に情報を止めたままで、無意識で記録しなければならない。
筆者はその方法を見つけた。
それが2009年に執筆した「100円ノート「超」メモ術」だ。
この本を読めばひらめきの捉え方を理解できるだろう
さらに、ひらめにの研究が進んだ。
ひらめきの存在から捉え方。人類だけが持っている時間とは何かなどを考えた。
今後、詳しく紹介してゆく。

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想力開発の記録:ひらめきと思考法の旅

本書は、筆者が独自に開発した発想力と思考法の記録を紹介します。科学的に解明されていない内容も多く含まれますが、これは意識やひらめきといった現象が科学で十分に説明されていないためです。本書では、その未知の領域に挑むための仮想科学という視点を用い、発想力の可能性を探ります。


小学生時代の「ひらめき」との出会い

私が発想力に興味を持ち始めたのは、小学生の頃でした。ある伝記で、偉人が寝床にメモ用紙を置いてひらめきを記録していたと知り、私も枕元に折り込みチラシで作ったメモ帳と鉛筆を置くようになりました。

ある夜、ひらめきが訪れましたが、部屋は真っ暗で何も書けない。そのため、暗闇でも文字を書く方法を試しました。頭の中で用紙をイメージし、その通りに手を動かす訓練を繰り返した結果、見えない中でも文字を書く技術を身につけました。この方法は、現在でもひらめきを記録する際に役立っています。


テレビ番組が生んだ使命感

中学生の頃、あるテレビ番組で南米の孤児たちの厳しい生活を目にしました。親を亡くした子供たちが、物陰やテーブルの下で寝泊まりし、大人から暴力を受ける様子に胸を打たれました。「この子たちを救いたい」と強く願い、そのために発明でお金を稼ぐことを目指すようになりました。この体験は、私の発想力開発の原点です。


発明への道:ひらめきの探求

私の発明に対する情熱は、「ひらめき」という現象に基づいています。伝記や実体験を通じて、ひらめきが発明の鍵であることを学びました。そして、それを記録し、活用する方法を模索しました。

ひらめきは突然現れるものですが、それを記録し、再現することは難しいものです。私の試行錯誤は、後に「100円ノート『超』メモ術」という形で結実しました。この方法を活用すれば、誰もがひらめきを捉える感覚を養えると考えています。


異世界的発想:意識を活用する思考法

高校時代、ある放送局の部活動中に、断線箇所を探す緊急事態がありました。その時、意識が身体を離れ、コード内を走り回るような感覚を得ました。そして、直感的に断線箇所を発見し、問題を解決しました。このような経験から、意識と思考の可能性を信じるようになりました。

この発想法は科学的に説明できないかもしれませんが、私にとっては「異世界的な思考」の一部です。仮想科学として、意識を活用したアイデア発想の一助となっています。


広告業界での挑戦とアイデア開発

社会人となった私は広告業界で働き、多忙な日々の中でアイデア開発法を磨きました。年間50本以上、10年間で700本ものイベントを企画し、それらを実行に移しました。その中で、次々と新しいアイデアをひらめき、実現していくための方法論を確立しました。

特に重要だったのは、意識の中でアイデアをシミュレーションし、瞬時に形にする能力です。例えば、イベント会場での直感的な発想や即時指示が成功を支えました。こうした経験が、私の発想法をさらに進化させるきっかけとなりました。


思考を記録し、積み重ねる方法

ひらめきや思考は、一度記録しなければすぐに消えてしまいます。そのため、私は壁一面に模造紙を貼り、そこにアイデアを書き込み、積み重ねる方法を採用しました。この手法は「目に見える形で思考を広げる」点で非常に効果的でした。

現在はiPad Proを使用して記録を行っていますが、依然として思考の積み重ねが重要です。ひらめきとは、一瞬の知的現象であり、それを確実に捉えるための記録術が鍵となります。


仮想科学としてのひらめき

ひらめきは異次元の情報が意識に現れる現象だと考えています。それを記録し、時系列で整理することで、実際のアイデアとして形にすることが可能になります。私はこの研究を通じて、ひらめきと時間、そして人間の意識が持つ可能性についてさらに探求を続けています。

これらの経験から生まれた「魔法の思考術」を本書で詳しく紹介していきます。読者が発想力を磨き、未知の可能性を開く一助となれば幸いです。

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