Views: 36
この世界はビッグバンという不思議な出来事ではじまった。
何もないところから物質とエネルギーが生まれた
しかも、無限大と言うに等しい規模である
始まりがない始まりって存在するのか?
科学の世界では、どうもこの事が常識らしい
宇宙に関心を持ち始めた私のとって納得がいかない
団塊世代というのは精神性と理論とが同居している
理屈に合わないことには到底納得できない
この凄い宇宙も奇跡の惑星地球も野山に棲む動物たちも、そして人間も誕生した。
それが、単細胞が成長し、発展し人間になったという。
単細胞に人間になりたいなんて願望と知恵があったのだろうか
しかし、成長させた何者かが存在すると考える方が自然ではないのか
この細胞は野山を支配する熊になれ
この細胞は野原を走りまわる可愛いウサギになれ
そういって育てたのではないか
ここでまた疑問が生じる
ウサギを可愛いと思うのは誰なのか?
ウサギの肉が大好きな狐が可愛いと思うのか?
野の花や木の実は何の為に存在する
木の実の味はどうして美味しいのか
木が生存を考えたら、美味しくない方が好都合でないのか
山菜で美味しいタランボの芽というのがある
逸話にタランボの芽が美味しすぎて、おおくの動物に食べられてしまうので、神様がタランボの枝に鋭いトゲを付けてくれたそうだ。
地球は美しく素晴らしい環境を持っている
生きるだけなら、こんなに美しい環境はいらなかっただろう
結果として、人間は美しい風景に癒やされ、勇気を与えてもらってる
人間は食べ物だけではいきられなく、この環境がないと生きていけない。
地球はどうして人間の事を知っていて、環境を演出してくれるのだろう
科学というのは、物質世界だけで、精神世界は御法度らしい
創造主が存在しないと説明の付かないことは、うやむやにしている。
科学が創造主を嫌うのは理由がある
創造主は神様とイコールと思われている
いつから、創造主が神様になったのか?
神様は人類が誕生し、ある程度文化を持ったときからはじまっているので、おそらく5千年は経っていないだろうと思う
創造主の存在が確認されたのは157億年前である
だから、私は創造主と神様をイコールにすべきではないと考える
宗教の深いところは解らないが、人間が社会問題を解決するために創り出した哲学だと思っている。
多くの人々を納得させるために、誰も反論できない創造主の偉功を利用したのだと思う。
そうして、創造主の存在が薄くなり、とうとう神様にする変えられてしまった。
そうして、創造主の偉功のことになると「宗教的で科学的ではない」という言い訳を作ってしまったと思っている。
このうやむやな気持ちをスカッとさせてくれる出来事があった。
それは、最近興味を持ち始めた宇宙の話である。
最近はYouTubeで貴重な講演を聴くことができる便利な時代である。
ある日、量子力学の一般向けの講義を観た。
講師の言うには、量子力学は現象として認めざる得ない。理解できている学者はいないだろうということだった。
私は思った。
学者も解らなくても認めることはあるのだと思った。
だったら、創造主の存在も認めるべきである。
創造主さえ認めれば、かなりのことに理屈が立つのである。
闇雲に研究していなくても、研究の範囲は確実となり、研究は進むと思う。
だが、研究家の存在は創造主がいないから、自然界は謎に包まれているのに、創造主を認めたら、謎がすべて無くなるのかも知れない。
答えのない問題を研究することで、研究の価値が存在しているのかとも考えてしまう。
才能の無駄遣いだと思わざる得ない。
私はアイデア開発方法を研究している
特に私はヒラメキアイデア開発法である
この研究の要は「人間の意識はどこにあるのか」ということである。
神様を否定し、創造主を否定する科学では、物質しか信じられないらしい。
だから、意識も、根性も、愛情も、心も脳が作り出した幻影だという。
ヒラメキも脳内の記憶が呼び出されたものだという。
まったくナンセンスな話である
人類は原始時代から知恵を使って生き延びてきた。
そして、知恵を使って発展してきた。
この時、原始人の脳内にそんな記憶があったのだろうか。
原始人はヒラメキをヒントに考え、新しい知恵を作り上げてきた。
ヒラメキは明らかに人類を発展させるために準備されたアイデアエネルギーである。
では、こんなことができる存在は創造主以外にはいないと思う。
こう考えると、人間がどうやって新しいアイデアを生み出すのかということがハッキリとわかる。
理屈が解ると、利用するのは比較的簡単である。
私はそうして自分の能力を遙かに超えるアイデアを創り出してきた。
2022年5月20日記す