ひらめきが欲しいなら脳科学から離れなさい

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臓器、想像能力は存在しません

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アインシュタインもアイデアが出なくて何年も悩んだ

ひらめきは科学的には解明できません。

もし、科学的に解明できるものなら、アインシュタイン博士が解明していたでしょう。
そうすればアインシュタイン博士は考えがまとまらなくてて長い期間悩むことはなかったでしょう。
アインシュタイン博士が何ヶ月も悩んだという記録があります。
アインシュタイン博士が求めた答えは、過去の経験からでは導き出せないのです。
これが、ひらめきは科学的に解明できないという証拠です。

世界中の科学者がひらめきを探して悩んでいる

ひらめきを求めたのはアインシュタイン博士だけではないのです。
ノーベル賞科学者も、みんなひらめきをが来るまで試行錯誤や実験を重ねたのです。

でも研究の先に答えが合ったのなら、ノーベル賞的な大発見が必ずできていたはずです。
ノーベル賞科学者は、ある日ひらめいて実験をしたら答えを見つけることができたと言っています。

ひらめきは全員が見つけているわけではありません。見つける人と見つけられない人がいます。
その違いは何処にあるのでしょうか。

他人の話では、ひらめきとの出会いは理解しがたいのです。
ひらめきと出合った人も、何故か解らないのです。だから、他人に話して説明することが難しいのです。科学者はどんなことでも科学的に説明しなければなりませんが、科学的には説明ができないのです。

科学的にひらめきが得られるのなら、もうすでに出来ている

科学は再現できるから科学なのです。誰が行っても同じ結果がでるのが科学的と言われます。それができなければ、科学的とは言えず、科学者は説明ができないのです。

科学者が科学的に説明するときは、すべての質問に答えられなければならず、どんな反論にも答えられなければなりません。それ故に、科学者がひらめきを説明するということは難しいのです。

別な章でも書きましたが「科学的に説明できていなくても現実に起きていることがたくさんある」ということです。
科学者が説明できない「ひらめき」のことを、私が経験を元に非科学的にご紹介します。

ひらめきが何処にあるのかを解らないで漠然と探していたのではいつまでも見つかりません。北極星を見たかったら北の空を眺めれば簡単に見つけることができます。

ひらめきを見つけるには、ひらめきを見つけた経験を元に、ひらめきを探すと見つかるのです。私は、ひらめきを当たり前のように利用していますから、思考の先にひらめきがあるのは当たり前になっています。こんなに何度もひらめきを利用していても、科学的には説明できないのです。

世の中には物質と非物質があります。物質とは基本的に質量と形と性質があります。非物質とは質量や形がないものを差しています。非物質とは反物質とは違います。物質は測ることができますが、非物質は測ることができません。
非物質と呼んでいるのは、感情とか思考とかいった形のないものです。この形のない非物質は科学的にはまったく解明できていない分野で、未踏科学を通り越して非科学とまで言われます。
でも、存在していることは誰もが認めることです。

経験から導き出した方法は、過去のデータの集計と分析です。
そこから、導き出されるのは過去の延長線上にあるものです。
それは「カイゼン」です。

カイゼンならば、定められた様に処理していけば答えを見つけることができます。
でも、ひらめきは未来に存在します。

人類は未来から理想を探し出して、発展してきました。
人類の発展は、過去の延長線上にはないのです。

日本には「気」がある

人間のパワーを精神的なものに求める国はたくさんあります。
宗教を大切にしている国なら必ずと言って良いほどあります。
信仰心を持っている国は、世界の殆どだと思います。

昔から「病気は気から」という言い伝えがあります。
武術の達人も、芸術の達人も、精神的に成し遂げた人です。


「ひらめき」も「ひらめ気」です。

「やる気」「負けん気」「元気」「気合い」「気質」「気運」「気概」「気兼ね」「気功」等々たくさんあります。
すべて科学的に証明できないものです。
これらのものが何処でどのようにして発生するものかを知りません。

人間にとって大切なものは、肉体から離れたところにあります。

それでは、肉体から離れたところとは何処でしょうか?
それは、科学で説明のできない「心、精神、魂」にあります。

科学的でないことを書くと嫌がる人もいます。
科学とは、宇宙の森羅万象を観察し、発見し、理解することです。

その発見も、何かに導かれるようにして発見するのです。
その導きが「ひらめき」です。

科学的でもなく、宗教的でもなく、現実を知ることです。

科学と宗教の考え方

宗教と科学は相反する事のように教えられてきました。
でも、昔は宗教と科学とは一体のものでした。
ただし、昔は神様を身近な存在としていました。
宗教とは神の教えです。
でも、神は何も話しません。

そこで、神の教えを理解するために科学がありました。
経典の内容を現実的にするために科学という証明が必要だったのです。
でも、宗教者の答えありきの研究により、現実が歪められました。
みなさんが一番ご存じなのは「天動説と地動説」です。

そして、社会の不安定は、宗教者という支配層へも反発が、共産主義を生み出し、科学は宗教を否定する道具として使われ始めました。
宗教は人を惑わすものだということを照明するために科学を利用しました。
そのため、宗教的なものは科学的でなく、価値のないものだという考えが広まったのです。

でも、現実というものは変わらないのに、人間として理解するために強引に行っているとしか思えません。

宗教的である必要はないと思っています。
同時に、科学的でなければならないとも思っていません

人間はまだまだ未熟で、進化途上だと思っています。
最新の科学でも、人間が何かを発明したことはありません。
自然界にあったものを発見し、応用する技術を得ただけです。
石油を発見し、「みんなに良く知られているプラスチック」などを作り出したことと殆ど変わらないのです。

「科学的でない」という発想が科学の発展を遅らせる

科学は見えるものしか信じないというところがあります。
ところが、この世界は見えないもので溢れています。
空気も、風も、気圧も、重力も、光も、電波も、温度も見えません。
でも、様々な計測器を使うことによって、「多分あるだろう」ということをみんな信じています。

そのため「ひらめき」も脳で発生するから、脳の使い方が重要なのだと言うのです。
もし、脳から発生しているなら、過去の経験の分析から出てきます。
「未来は過去の延長線上にはない」ということと反することになります。

人間に魂がある

見えないけど、無いとは言えないものがたくさんあります。
魂も心もあることは誰もが理解していることだと思います。

近年の医学で、脳も身体の部位のひとつであることが確認されました。
人間の五臓六腑が自分の思い通りには動かせないことは解っているでしょう。
それぞれの臓器が生命を維持するために最適な活動を24時間体制で行ってくれています。

脳も24時間体制で生命維持のために活動しています。
もし、私たちが思い通りに操ったら、明日の朝を迎えることは難しいでしょう。
脳は特に重要な臓器だと思います。
そのために、肉体からはかなりのセキュリティーシステムで守られています。

この重要な脳ですが、記憶を行ってくれています。
記憶は生命維持に重要なのです。
危険なことに出合った経験は、危険を避けるためには欠かせない作業です。

脳の機能の中で特に重要なのが、情報処理機能です。
多様な情報処理が多様な行動を可能にしています。
これは、脳科学的には解明されてはいないかも知れません。

さて、これらの機能で「人間の行動」を理解できますか?

お気付きのことだと思いますが、「司令塔」がないのです。

結論を言いますと、脳を操っているのは「魂」です。
この魂こそが、自分自身の本体です。

ここのところを理解して頂くと、「ひらめき」を活用する方法が見えてくるのです。

今日(2022/01/02)はここまで・・・・・続く

脳から離れて「ひらめき」を見つけよう

人類のすべてが持っているパワーです。
原始の科学のなかった時代から、人類はひらめきに導かれて発明してきたのです。

科学偏重の時代だから、人類の思考力が塞がれているのです

本当のパワーを甦られましょう

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